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Shorinji Kempo

クリスマス読書会

リレーで借りた本「へんしんトンネル」を皆で楽しみました。 今回は「へんしんトンネル」の読み聞かせです。

 読み方を変えると変化する言葉を他にも探してみたくなりました。…優成

トンネルを通ったら、動物や人間そして、名前や言葉が色々な言葉に変わったり、人も変わってとて面白かったです。…葵彩・快成・修也・朋・宏太朗

読み聞かせありがとうございました。「他にもいろんな言葉をトンネルに通してみたいと思いました。もし僕がトンネルに入ったらどうなるかなと思いました」…創士郎

へんしんトンネルの仕組みが分かっても当てられないものがあり、自由な発想や柔軟性をいつの間にか何処かに落としていたようです。何に変身するか考えることが面白かったです。… 裕子

トンネルを出ると、どんな言葉になるか考えて当てるのが楽しかったです。…かおり 梓月

作者の発想がおもしろいと思いました。言葉を反対にすると意味が全然違う言葉になるものが、いっぱいあるんだなと思いました。…隼太朗

リレーによる読み聞かせをしました。

リレーによる絵本読み聞かせが始まりました。送られてきた本は2冊です。

そのうちの一冊「ゆらゆらばしのうえで」を読みました。

以下は拳士の感想です。

読み聞かせありがとうございました。「きつねとウサギが話し合って二人とも助かって良かったなと思いました」   創士郎君

読み聞かせありがとうございました。以下、感想です。  ゆらゆら橋でキツネがウサギを追いかけていて、どんどん日が経つにつれて仲良くなってきたけど、最後にキツネはウサギを追いかけていたことを思い出して、また追いかけていたところが面白かったです。  葵彩さん

修練ありがとうございました。感想です。  うさぎと狐は敵対同士でしたが丸太が落ちないように協力し、声をかけて落ちないように互いに気遣う姿から、たとえ敵対していてもお互いを知って打ち解け合い、力を合わせれば困難を乗り越えることができるのだと思いました。最後の狐がうさぎを逃がす言葉に不器用な優しさを感じました。     高嶋さん

 

田村先生読み聞かせありがとうございました。 

しゅんたろう君  敵同士でも、話をするうちに仲良くなっていくんだなと思いました。

あづき さん きつねとウサギが、ずっとマルタの上にいて、かわいそうでした。

優成君  追うものと追われるものが、一緒にピンチを乗り越えて最後はあたたかい気持ちになりました。

快成君  いつも敵対している同士でも協力したり話したりすれば打ち解けて仲良くなれるんだなと思いました。

話し合ったり自分のことを知ってもらうことは大切なんだと感じました

以上感想ありがとうございました。

12月特別参座日

12月の法話は行としての少林寺拳法」です。

「行としての少林寺拳法」とはいったいどういうことでしょうか? 少林寺拳法は、単なる武道でもスポーツでもあるいは健康法でもないということをよくいわれます。
 行とは、修行を表します。そしてその修行とは金剛禅の修行のこととなります。ですから、少林寺拳法は、金剛禅の修行法の一つであり、そして主たる行となっています。
 戦後開祖は、荒れ果てた日本を何とかしようとして「人づくり」による「国づくり」を目指し多度津町に移り住みました。しかし教えを説いているばかりでは、人は集まることはありませんでした。そんな悩む開祖が達磨に導かれる夢を見たのです。それは、中国大陸で熱心に学んだ拳技を人づくりに生かそうというものでした。そして始まったのが少林寺拳法なのです。
 1947年10月に「日本北派少林寺拳法会」が誕生します。その2か月後「黄卍教団」を香川県に宗教法人として認可され、さらに戦後GHQの政策で、武道が禁止されていたことから「おどる宗教」であるということで認可をされました。そして、1951年日本政府の宗教法人法の成立により「金剛禅総本山少林寺」の認可を受けたのです。
 その後各地団体への広がりが見られ、学校や官庁などにも広がり出したことで、宗教法人としてだけでなく、社会体育団体、社会教育団体として「日本少林寺拳法連盟」が誕生し、1963年「社団法人日本少林寺拳法連盟」が設立されたのです。その後 社団は財団へとなり現在は「財団法人日本少林寺拳法連盟」となって日本各地で活動をしています。

 さて、開祖の目指した「人づくり」による「国づくり」は一体どんな国をつくろうとしたのでしょう。信条の第2条は「現在は、世界の平和と福祉に」ですが、以前私が入門当初は「日本人の福祉を改善せんことを」になっていました。「一人一人がダーマの分霊として生かされ平和で豊かな国」を「自己改革により慈悲心と正義感と勇気を持って行動できる自分にする」ことで、実現しようとしたのです。
 その方法として少林寺拳法があり、「教え」と「技術」と「教育システム」の手段によって「自己確立」と「自他共楽」をしようとしているのです。

「教え」とは…「自己確立」と「自他共楽」を説くダーマ信仰です。ダーマ信仰は、「縁起の理法」が根本にあります。聖句の中にある「己こそ己の寄るべ」に表されているように、「善きことをすれば善い結果が」「悪いことをすれば悪い結果が」必ず起きるという教えであり真理です。全てのものはつながり合い、常に変化しあっています。私たちは、そのつながりの中にあって生かされて生きているのです。そのことが感じられ分かったならば、自分のすべきことに向かって報恩を尽くしていかなければなりません(信条第1条)
「技術」は…少林寺拳法の技術は、護身の技術になってっています。「自分の身を守れる」「負けない自分になる」ことで、自分に自信が生まれてくるとともに、組手主体の技術を通し互いに上達しあい信頼し合える関係を築くものとなっています。
「教育システム」…これらの教えと技術は、ある時突然分かったりできたりというものではありません。少し少しの積み重ねによって、少しずつ理解でき体得をしていくものです。そのようなシステム「漸々修学」に科目表や読本が構成されています。

北信越大会に参加しました

北信越大会に8名の拳士とともに参加してまいりました。

参加拳士の大会参加しての声をお聞きください。

あづき…残心と気合いが足りなかったので、今度はもっとできるようにしたいです。

修也…気合いが小さかったし、技も早く進めていた。緊張してたと思う。次は早くならないようにして、もっと技の練習をして、気合いも大きく出せるように練習したい。

葵彩…自分は姿勢が高くて気合いも小さかったと感じました。上手い人達は技がピシッときまっていて、自分もそうなれるように練習していきたいです。

宏太朗…気合が小さい時があったからもっと声を大きく出したい。上手い人達を見て、自分の気合いが小さいことに気づいた。もっと技も上手くなりたい。

しゅんたろう…気合いをもう少し出せるとよかった。突きがとどかないことがあったから、間合いを工夫したい。うまい人がいて、勉強になりました。

朋…一つ一つの技のキレや気合いを今後の課題として練習していきたいです。とても勉強になった。

優成…修練を休んでいたけれど、それなりに動けたのでよかった。新しい技をもっと練習して行きたい。動くところと止めるところのメリハリをつけたい。

快成…一位、二位の組は僕たちよりずっとキレとスピードがあったので、もっと練習をしたい。蹴りが落ちていたことがあったので直したい。技の中で止めるところなどをしっかり決めてできるようにしたい。

参加拳士、それぞれが、自分のいたらなかったことを、そして次に向けての目標を見つけたようです。今後の修練がとても楽しみです。私は、久しぶりに大きな大会への参加となりました。ここまで参加できましたこと、まことに感謝です。ありがとうございました。次なる成長に向け、積み重ねをしていきたいと思います。

 

 

読み聞かせを行いました

 

高嶋拳士による読み聞かせを行いました。

高校生の時に出会った絵本を紹介していただきました。

 

大変感動するお話でした。

 

 

 

日曜日修練

本日は、9月10日の長野県大会に向けて、演武を構成したり練習をしました。

前島兄弟は、今週開かれる全国中学生大会に向けての演武練習を行いました。

内藤健氏は、徳武拳士と組んでの出場です。

新春法会

小林貴志夫副道院長から、心温まる励ましのあいさつをいただきました。

称淑至極です。ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

道院長年頭あいさつでは、このコロナ禍にありどんなことができるのか、そしてどんなことをしていかなければならないのかを話させて頂きました。

 

 

 

 

今年の目標「達磨さんに願いを」が始まりました。

みんな時を忘れ、自分の達磨さんに今年の願いを書いていました。

ちなみに私の今年の目標は、

「転原自在」すべては自分の動くことから始まる。そして「ニコニコ」と笑顔で取り組むことを目標としました。

 

小さな場所に20数人が集まり新年を迎えられたことが何よりです。

有難うございました。

信州大学少林寺拳法部50周年記念

10月1日に松本のブエナビスタで、信州大学少林寺拳法部50周年記念が行われました。

懐かしい顔が100名以上集まりました。

 

 

5月より入門が始まり、8月までに6名の拳士が入門してきました。

本日は、この6名の方の入門式です。

コロナ感染があり、思うように活動できなかった道院に活気が満ちてきました。

特に少年拳士は、道院道場が出来て初めての入門

となりました。

あまり広くない道場ですが、そこに保護者も含め18名が集う入門

を祝うことができましたこと感謝です。

 入門にあたっては、道場正面にある。達磨大師増のについての説明。卍ダーマの意味、開祖宗道臣の紹介を主に行いました。

 

様々な方の協力を得て、入門視界が無事終了しましたこと感謝です。ありがとうございました。

道院30周年

1月下旬本山より「勤続表彰30年」の表彰状が届きました。この表彰に至るまでの30年を振り返ってみると山あり谷ありの連続であったように思えます。
 初任地で始まった少林寺拳法、最初は教えてほしいと子供たち(井出栄助拳士)にせがまれてからのスタートでした。

「なにか小海の方で、拳法らしきものをやっているらしいぞ。」小池先生からの連絡でした。「自分です。」許可がなければできないなんて知らず、自分が教わって来たことを教えているだけのものでいようと思ったのですが、人が集まり技術習得が進むにつれ「このままでは意欲も目標もなくなってしまう。」そこで、小諸の横田先生のところまでの道院通いが始まり、小諸道院所属の「小海分室」がスタートしました。
 転任を機に終了しよと思っていたのですが、その後を引き継ぐ拳士が見つからず、8年の時が流れました。
 拳士増加と私自身の結婚を機に佐久の地で、少林寺拳法を布教してみたいとの思いから、さらには切原小学校への転任を機に道院を作る決心を固め、臼田武道館と小海町公民館をお借りし、信州南佐久道院 同支部を1991年に設立をしました。小海分室から8年目のことでした。
 2000年10周年の時は、臼田の平宿泊棟に拳士保護者が全員集い10周年を祝うともに、次の日には臼田武道館にて東信大会を開催し、10周年をさらに祝うことができました。
 アイトピアで迎えた第25回の東信大会では、同時に佐久平南道院 同支部の20周年となりました。名称変更は、臼田町が佐久市に併合されたことにより行いました。この時には大人の拳士も随分と増え、様々な拳士に支えられての20周年となりました。県連の先生方や近隣の県や知り合いの先生にも来ていただき、さらには、第二世宗由貴総裁にもお越しいただき盛大に祝うことができました。2010年のことでした。

 この2010年は、SKP(組織改革機構)が始まった年ともなりました。
少林寺拳法には、宗教法人としての顔。財団法人としての顔。社団法人としての顔がありました。それまでは少林寺拳法グループとして行っていたのですが、国の各法人化に伴い、それぞれの法人でそれぞれの人格化がなされなければならなくなりました。
 佐久平南道院が所属する宗教法人(金剛禅少林寺)では、布教を進めるための施設が必要とされ、布教を進める施設として自宅に道院専有道場を2013年11月に建設をしました。
 一方、財団法人として活動してきた佐久平南支部は、草間支部長の佐久市南スポーツ少年団(財団法人少林寺拳法連盟所属)として、佐久市、佐久穂町で活動を続けています。
 勤続表彰30年を迎えるにあたり、本山に帰山して、所属拳士とともに表彰を祝う計画もこのコロナ禍のため中止となってしまいました。また、何度となく道院30年、小諸スポ少10年、佐久市南スポ少5年を祝う会を開こうと何度となく思ったのですが、コロナ禍のため開催出来なくなてしまっています。
 ここまで続いたのは、自分の努力もあるのですが、それ以上に拳士の皆さん、保護者の皆様、地域の方々、家族など様々な人に理解し、協力していただき、支えられたお陰です。本当にありがとうございました。
 今後は、コロナ禍や少子化に伴って、減少してしまっている拳士を何とか増やせるように、懸命の努力をしていきたいと思います。
 私の今年度の目標は、「誠心誠意」です。金剛禅のもと少林寺拳法が目指す、理想境の建設を私の人生のモットーに「健康で笑顔あふれる人々の集まり。」を目指し、できる限りの「今」を過ごしていきたいと思います。
 「健康」とは本来は「健体康心」だそうです。つまり、健全な体と康らか心を表した言葉です。体力だけでなく、心の育成を図っていくのが本当の「健康」ということです。少林寺拳法は、「拳禅一如」の特徴にもあるように、心と体づくりの両方を常に行える武道であり教えでもあります。少林寺拳法に携わる拳士の強化と、多くの方に知っていただくための布教を地元の取出から今年は進められるよう頑張りたいと思います。