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Shorinji Kempo

青森武専に行ってきました

生かされて生きている   佐久平南道院 田村昌夫

 生かされているのではと感じられたのは、大学の一年生でした。オートバイに乗りカーブでトラックにぶつかり宙に舞う事故を起こしました。もうダメかと思ったのですが、トラックの荷台にあった椅子に肘がつき、上手く体が反転し、両足打撲だけのけがで済みました。この時、運良く生きている。何かに生かされているな-と感じました。 その後、生かされているなと思い考えられるようになったのは、少林寺拳法の教えの中でダーマを知り、考え、感じられるようになってからです。

 ダーマを感じるとは、一体どういうことでしょう。わたしの場合因果応報の原理がわかり感じられるようになったことです。善い行いには、善い結果が、悪い行いには悪い結果が間違いなく訪れるということが確信できるようになったことです。 この因果応報の真理は、若い頃 親や周りから聞いてわかってはいたものの、損得勘定が働いたり、その時よければなどというその場主義に囚われたり、また人のこと周りのことが気になり苦労をしないでうまくいく友達を見たり聞いたりして羨ましく思ったりすることが多くあり、迷ってばかりでこの教えをあまり活かすことがありませんでした。

 しかし、教職に就き、少林寺拳法を修練する中で、因果応報は、すぐにではないけれど、そして時には大変時間がかかるけれど、必ずこの法則が働くということが年を重ねるとともに、確信できるようになりました。また因果応報の原理は、素直な心になり行動することで、より早く働いてくることも経験を重ねる中でわかりました。特に、自分が、様々な繋がりの中で、生かされていることを知り、感謝の心で全てをとらえ、自分の今できることをその時その場所その立場で一生懸命やろうとするならば、無意識のうちに良い結果がやってきます。生きているうちは、なかなか思い通りにはなりませんが、生かされていることに感謝して目の前の事に集中して、行動しているとその通りになっていきます。

 開祖は、「必要とされているから生かされているんだ。」「生きているうちは、死なないんだから、自分の可能性を信じ生きなさい。」と言われています。その通りだと思います。私たちは「必要とされ、生かされているから生きている」ということを信じ「ダーマより与えられた自分の使命」を見つけ、そして果たしていかなければなりません。

わたしが、因果応報の原理に従い行動できるために、大切にしたい言葉があります。「お陰様で」「勿体無い」「有難う」「頂きます」という感謝の念がこもった言葉です。そうした言葉の全てが「大いなる力に生かされている」に結びついています。

 私たちの命に必要なもの全て、人間は利用することはできても生み出すことはできません。空気しかり、水しかり、食べ物しかり、燃料しかり、全ては、地球が生み出したもの。さらに詰めれば、宇宙が作り出したものです。そして私達の体も、死にたいからといって、心臓を止められません。腹が減ったからといって、なかなか我慢できるものではありません。こうして考えると、自分の意志でコントロールできるものはごくわずかなことに気づきます。「ダーマの意志に従い、生かされていることに感謝して」素直な心で、自分のしなければならないことに向け邁進していくことが、少林寺拳法の理想境建設へと繋がることになると確信して、行動し指導していきたいと思います。

いま社会は、コロナ禍で苦しんでいます。渋沢栄一が「できないのではなく、できる方法を考えることが次なる一歩へとつながる。」として、いくつもの事業を公的な立場から立ち上げていきました。みんなの幸せを願い考え出された合本主義は、その後資本主義へと繋がってきています。このコロナ禍の乗り越え方も同じことが言えるのではないでしょうか。「やらないのではなく、どうやったらやれるのか。」を考えていくことが、これからに求められるのではないでしょうか。

 岸田総理が新たな資本主義ということを言われています。これまで、利益と便利さを様々な場所で、様々な国が追求してきた資本主義は、自然環境からの見直しが求められています。さらにこのコロナ禍と相まって、本当の意味での公的利益追求型の資本主義(みんなが喜び合える)、人を大切にした少欲知足的な資本主義へと変化していくのではないでしょうか。少林寺拳法は、その根底において人としてのあるべき姿を指し示す一つの道一灯明となるよう努力していかなければならないと思います。人と人との繋がりを支え、心と体の健康の支えとして、社会から必要とされる存在となれるよう金剛禅運動を一人ひとりが進めて行こうではありませんか。

ナポレオン・ヒル …「諦める一歩先に必ず宝がある」

「信念の力」

もしあなたが負けると考えるなら、あなたは負ける。

もしあなたがもうダメだと考えるならば、あなたはダメになる。

もしあなたが勝ちたいと思う心の片隅で無理だと考えるなら、あなたは絶対に勝てない。

もしあなたが失敗すると考えるなら、あなたは失敗する。

世の中を見てみろ、最後まで成功を願い続けた人だけが成功しているではないか。

すべては「人の心」が決めるのだ。

もしあなたが勝てると考えるなら、あなたは勝つ。

「向上したい」「自信を持ちたい」ともしあなたがそう願うなら、あなたはその通りの人になる。

さあ、再出発だ。

強い人が勝つとは限らない。すばしこい人が勝つとも限らない。

「私はできる」そう考えている人が結局は勝つのだ!

 

懐かしのメンバーと修練

小諸道院時代の懐かしいメンバーが34年ぶりに訪れました。無理をしないデーの言葉をよそに、「結構覚えているじゃん。結構動けるじゃん。」と感動しんがら、汗をかくことまるまる二時間動きました。その後教典の聖句についてふれ各自が思う「自己確立」とはについて語り合いました。

・しっかりとした自分でいられると

・自分に自信を持てるよう保つと

・自他共楽のできる自分であること

が出されました。ある高段者の先生が「自己確立は、死ぬまで続くものだ」とおっしゃっていましたが、確かにその通りだと思います。私の今思う自己確立は「天に恥じない自分であり、ダーマに導かれ生かされる自分づくりであると思います。」すなわち「いかに滅私奉公」になれるか。ではないかと思っている次第です。

10月道院長講話から(特別参座日より)

 「二ケ月の学び」

少林寺拳法のインターハイが行われてから、すぐに始まってしまったコロナ感染症の特別警戒措置により、およそ1ヶ月半の間活動が自粛されました。その間には、東京2020のオリンピックがあり、さらにそれに続くパラリンピックがありました。活動が自粛されていることもあり、テレビによるオリンピックやパラリンピックを逆に十二分に観戦し楽しむことが出来ました。
 特にこのコロナ禍にあり、アスリート達が感染に気をつけながら、各競技に取り組み自分の精一杯の頑張りする姿や、支えられた人々に感謝する姿勢から、多くのことを学んだのではないでしょうか。
 
「失ったものを求めるな。あるものを最大限に活かせ。」
 パラアスリートが,この言葉の通りに自分の今ある能力を最大限に生かし切る、活かそうとする姿には、とても感動をしました。さらに、同じ頑張りをしたパラアスリート同士が、オリンピックアスリート以上に互いの頑張りをたたえ合う姿は、とても素晴らしい姿だなと思いました。
 パラアスリートにとって、様々な機能の障害に伴う劣等感、そして自己喪失、さらには、周りとは違う様々な偏見差別を耐え抜き、乗り越えてきたからこそ、真にお互いをたたえ合えるのではないかと思いました。
 開祖の教え、すべてがダーマに活かされた尊い存在である。まさにその言葉通りだなと改めて感じるものでした。そして、活かされる存在だからこそ、自分の精一杯を生きなければならない。と自覚し、道を説かなければならないと思いました。

「練習は不可能を可能にする。」「あなたの『これからが』あなたの『これまで』を決める」
 私が、ソフトボールを始めたのは、取出に家を新築し、地域の盆野球に出た折、誘われてからになります。かれこれ25年になります。このチームは、ほとんど練習することがなく、ただ試合を楽しむというスタイル。
 ですから「40歳から、練習したって、しょうが無い。」「野球はセンスだ。」など過去の経験を頼りにするチームでした。従い、それまで、ほとんど野球経験の無い私にとっては、ただ参加するだけ。なんとか数に加わるというものでした。
 しかし、そんな中でも続けてこれたのは、ソフトボールピッチャーのウインドミル投法が面白く魅力的で、自分にはなかなか上手くいかなかったことが、私が私自身を様々な練習に取り組むようにさせたのです。 
 時には社体のチームで、他の地域チームで、さらには自分一人での練習を積み重ね、「ああでもない、こうでもない。」という様々な創意工夫をすることで、徐々に自分が思っているボールが投げれるようになってきました。練習により、野球センスによる不可能を。また、年齢による不可能を乗り越えられ可能にしたのです。
 「為せば成る為さねば成らぬ何事も」とういう上杉鷹山の言葉を支えに、少林寺拳法の「漸々修学=少積大為」の教えを守り続けてきたことの結果ではないかなと思います。そして、さらに、今後も現状に満足することなく、今を頑張るようにしていこうと思っています。

「私たちは、過ぎ去った過去を生きることは出来ません。また、未だにやってこない未来を生きることも出来ません。自由に使えるのは自分に与えられた 『今、この瞬間の時間』だけです。『今この瞬間には』の中には過去も未来もすべて含まれています。」・・・今月号知致より
 今をどのようにして生きるかは、その人の考え方でしかありません。ダーマに活かされる存在であるということをしっかりと心に、自分が今できることを手を抜かず、いろいろ考えず、良しと思ったことを思い切って、一生懸命やるという今を過ごそうではありませんか。それがこのコロナ禍を乗り越えていく方法でもあると思います。

久しぶりの投稿

下受蹴

見事に決まりました。

前指固

逆小手からの前指固、上手く体を入れ替えられるようになってきました。お見事!

本日の修練は、ちびっこ拳士6級3名が頑張ってくれました。最後に上受突を頑張りました。胴がまだまだ大きいですが、ずいぶんと様になってきています。次回は木曜修練でお会いしましょう。

一字構え いいですね、手の張り方がしっかりしてきています。

日曜修練

本日の道院修練は私を含めて3人です。剛法基本。柔法は、二段抜きの足捌きを注意しました。

昇級考試を行いました

昇級考試

3名の拳士が昇級考試頑張りました。見事合格です。

初めての試験胴をつけて頑張りました。

8月に通信より…県立武道館にインターハイがやって来た

猛暑に見舞われている日本列島に、オリンピックが、そして、佐久の地には、少林寺拳法のインターハイがやってきました。 そして、その1週間前には、長野県の少林寺拳法大会もあり、ずっと大会続きとなっています。

 去年建設された県立武道館にとっては、初めての大きな大会となる第48回全国高校生大会インターハイは、全国43都道府県より、650名近くの拳士と役員200名近くの方々を迎え、県立武道館すべての施設を使って4日間にわたり行われました。>  各県の代表ということもあり、一人ひとりの機敏な動きには、とても心動かされるものがあります。昨年は、コロナ禍の影響により中止になってしまった大会を、拳士一人一人が、さらに役員の方々が、一丸となって、感染防止に努めながらの4日に及ぶ大会を見事に成功させました。4日目大会の閉会宣言が馬場先生によって宣言され、その後、役員と手伝いの方々で片づけをし終わり、すべてが終了したとき、この大会をリードしてきた中島競技委員長の目から流れる涙が、コロナ禍での大会をしかも、初めて体験する少林寺拳法をその大会を無事に乗り越えたという安どと感謝が表れていました。本当にご苦労様でした。そして、佐久の地に来てくれたありがとうがございました。  さて、大会は目の当たりにする演武はどれも迫力があり、基本がしっかりとした姿勢からと繰り出される素晴らしい技ばかりです。私は、招集場で拳士たちの招集を行う傍ら、拳士たちのウォーミングアップを見る機会があったのですが、そのアップを見ているだけで、どの拳士の演武が素晴らしいのかが大体わかりました。
 構えた時のその立ち姿は、凛とした美しさがあり、そして体の入れ替えより繰り出される突きはスピードがあり、とてもキレのあるものです。中でも、この大会まで、中学1年生の時より、全国大会で最優秀賞を取り続けている石川県の小松工業高校の日光・木本組の演武は、大変すばらしいものでした。さらに彼らが影響を及ぼしているのでしょうか、同校からは、もう一組の組演武がエントリーしており、彼らの団体演武もスピードと切れ、正確な受けからのスムーズな投げは、理にあっているものでした。  そんないろいろな高校生の頑張りの中にあり、佐久市南スポ少出身東海大諏訪高校の浅川凰生拳士が、男子単演8位という素晴らしい活躍をしてくれました。また、他にも同校の牛尼萌那さん、屋代高校の北沢都夢君も決勝に進む活躍がありました。大変にうれしく思うとともに、この素晴らしさを伝えていかなければならないと思いました。

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