12月の法話は行としての少林寺拳法」です。
「行としての少林寺拳法」とはいったいどういうことでしょうか? 少林寺拳法は、単なる武道でもスポーツでもあるいは健康法でもないということをよくいわれます。
行とは、修行を表します。そしてその修行とは金剛禅の修行のこととなります。ですから、少林寺拳法は、金剛禅の修行法の一つであり、そして主たる行となっています。
戦後開祖は、荒れ果てた日本を何とかしようとして「人づくり」による「国づくり」を目指し多度津町に移り住みました。しかし教えを説いているばかりでは、人は集まることはありませんでした。そんな悩む開祖が達磨に導かれる夢を見たのです。それは、中国大陸で熱心に学んだ拳技を人づくりに生かそうというものでした。そして始まったのが少林寺拳法なのです。
1947年10月に「日本北派少林寺拳法会」が誕生します。その2か月後「黄卍教団」を香川県に宗教法人として認可され、さらに戦後GHQの政策で、武道が禁止されていたことから「おどる宗教」であるということで認可をされました。そして、1951年日本政府の宗教法人法の成立により「金剛禅総本山少林寺」の認可を受けたのです。
その後各地団体への広がりが見られ、学校や官庁などにも広がり出したことで、宗教法人としてだけでなく、社会体育団体、社会教育団体として「日本少林寺拳法連盟」が誕生し、1963年「社団法人日本少林寺拳法連盟」が設立されたのです。その後 社団は財団へとなり現在は「財団法人日本少林寺拳法連盟」となって日本各地で活動をしています。
さて、開祖の目指した「人づくり」による「国づくり」は一体どんな国をつくろうとしたのでしょう。信条の第2条は「現在は、世界の平和と福祉に」ですが、以前私が入門当初は「日本人の福祉を改善せんことを」になっていました。「一人一人がダーマの分霊として生かされ平和で豊かな国」を「自己改革により慈悲心と正義感と勇気を持って行動できる自分にする」ことで、実現しようとしたのです。
その方法として少林寺拳法があり、「教え」と「技術」と「教育システム」の手段によって「自己確立」と「自他共楽」をしようとしているのです。
「教え」とは…「自己確立」と「自他共楽」を説くダーマ信仰です。ダーマ信仰は、「縁起の理法」が根本にあります。聖句の中にある「己こそ己の寄るべ」に表されているように、「善きことをすれば善い結果が」「悪いことをすれば悪い結果が」必ず起きるという教えであり真理です。全てのものはつながり合い、常に変化しあっています。私たちは、そのつながりの中にあって生かされて生きているのです。そのことが感じられ分かったならば、自分のすべきことに向かって報恩を尽くしていかなければなりません(信条第1条)
「技術」は…少林寺拳法の技術は、護身の技術になってっています。「自分の身を守れる」「負けない自分になる」ことで、自分に自信が生まれてくるとともに、組手主体の技術を通し互いに上達しあい信頼し合える関係を築くものとなっています。
「教育システム」…これらの教えと技術は、ある時突然分かったりできたりというものではありません。少し少しの積み重ねによって、少しずつ理解でき体得をしていくものです。そのようなシステム「漸々修学」に科目表や読本が構成されています。