10月道院長講話から(特別参座日より)

 「二ケ月の学び」

少林寺拳法のインターハイが行われてから、すぐに始まってしまったコロナ感染症の特別警戒措置により、およそ1ヶ月半の間活動が自粛されました。その間には、東京2020のオリンピックがあり、さらにそれに続くパラリンピックがありました。活動が自粛されていることもあり、テレビによるオリンピックやパラリンピックを逆に十二分に観戦し楽しむことが出来ました。
 特にこのコロナ禍にあり、アスリート達が感染に気をつけながら、各競技に取り組み自分の精一杯の頑張りする姿や、支えられた人々に感謝する姿勢から、多くのことを学んだのではないでしょうか。
 
「失ったものを求めるな。あるものを最大限に活かせ。」
 パラアスリートが,この言葉の通りに自分の今ある能力を最大限に生かし切る、活かそうとする姿には、とても感動をしました。さらに、同じ頑張りをしたパラアスリート同士が、オリンピックアスリート以上に互いの頑張りをたたえ合う姿は、とても素晴らしい姿だなと思いました。
 パラアスリートにとって、様々な機能の障害に伴う劣等感、そして自己喪失、さらには、周りとは違う様々な偏見差別を耐え抜き、乗り越えてきたからこそ、真にお互いをたたえ合えるのではないかと思いました。
 開祖の教え、すべてがダーマに活かされた尊い存在である。まさにその言葉通りだなと改めて感じるものでした。そして、活かされる存在だからこそ、自分の精一杯を生きなければならない。と自覚し、道を説かなければならないと思いました。

「練習は不可能を可能にする。」「あなたの『これからが』あなたの『これまで』を決める」
 私が、ソフトボールを始めたのは、取出に家を新築し、地域の盆野球に出た折、誘われてからになります。かれこれ25年になります。このチームは、ほとんど練習することがなく、ただ試合を楽しむというスタイル。
 ですから「40歳から、練習したって、しょうが無い。」「野球はセンスだ。」など過去の経験を頼りにするチームでした。従い、それまで、ほとんど野球経験の無い私にとっては、ただ参加するだけ。なんとか数に加わるというものでした。
 しかし、そんな中でも続けてこれたのは、ソフトボールピッチャーのウインドミル投法が面白く魅力的で、自分にはなかなか上手くいかなかったことが、私が私自身を様々な練習に取り組むようにさせたのです。 
 時には社体のチームで、他の地域チームで、さらには自分一人での練習を積み重ね、「ああでもない、こうでもない。」という様々な創意工夫をすることで、徐々に自分が思っているボールが投げれるようになってきました。練習により、野球センスによる不可能を。また、年齢による不可能を乗り越えられ可能にしたのです。
 「為せば成る為さねば成らぬ何事も」とういう上杉鷹山の言葉を支えに、少林寺拳法の「漸々修学=少積大為」の教えを守り続けてきたことの結果ではないかなと思います。そして、さらに、今後も現状に満足することなく、今を頑張るようにしていこうと思っています。

「私たちは、過ぎ去った過去を生きることは出来ません。また、未だにやってこない未来を生きることも出来ません。自由に使えるのは自分に与えられた 『今、この瞬間の時間』だけです。『今この瞬間には』の中には過去も未来もすべて含まれています。」・・・今月号知致より
 今をどのようにして生きるかは、その人の考え方でしかありません。ダーマに活かされる存在であるということをしっかりと心に、自分が今できることを手を抜かず、いろいろ考えず、良しと思ったことを思い切って、一生懸命やるという今を過ごそうではありませんか。それがこのコロナ禍を乗り越えていく方法でもあると思います。

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